うつわやブログ

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May 19, 2007 8:34 PM

「葭の元窯」と「柳の元窯」の補足

ちょっと調べてみましたので・・・

yanaginomotozuroku.jpg

葭(よし)の元窯は、慶長八年(1603)金久永によって開かれ、後年木原山の源流となったという[原色陶磁大辞典993頁]この窯から熊川(こもがい)形奥高麗茶碗風のものが出土している。
柳の元窯は、葭の元窯の側にあり、寛永三年(1626)金久永の高弟小山田佐兵衛により開かれたという[原色陶磁大辞典962頁]作品は柳の元窯のものとよく似ている。この窯から絵唐津蝦文大皿が出土しているが、松浦古唐津の甕屋の谷窯の紋様とよく似ている
佐世保市木原町の柳の元窯、葭の元窯は、古唐津時代の窯で、17世紀後半時代に、半磁器の染付けを焼いている。なお、柳の元窯には絵粉引の製品がある。

「唐津焼の研究」「古唐津の流れ」144頁より抜粋

「肥前陶磁史考 (1985年)」でさらに調べますと・・・

「吉の元の古窯品には・・・・何れも高台無釉にて形頗る小さく、中に小皿の如きは径五分位のものさえある。又大皿の一ヶ所及至二ヶ所が、割高台になっているのは、底部への火廻りを迅速ならしめんとの考案に因るか。・・・・・茶碗や水指には、高き竹の節高台があり、それが淺き繰取の痕が、蜷尻になったものがある。・・・・・又大皿の擂鉢形或は小皿の溝縁など、全く原明窯の谷と同技巧たることが注目に價する。
吉の元の墳墓 又此處には韓人墓頗る多く、今尚七八基ある由聴きしも、密林参差して遂に探ること得ざりしが・・・吉の元の墓主は最早熟化せる韓人であろう。」


この本を拝見すると形的に小皿の高台の小ささや一ヶ所及至二ヶ所の割高台、高き竹の節高台、兜巾(ときん)高台など、すべて高麗李朝に通じるものを感じます。墓につきましても初期は李朝陶工が作ったモノがあると聞きますからあって当たり前とは思いますが、実際に文章を読むとリアルです。

ちなみに下画像が原明窯の陶片です。

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中央公論社 日本の陶磁5 唐津より

「柳の元 吉の元の西南4丁斗りを隔てし隣山が柳の元にて、此處の古窯品も亦吉の元と大同小異である。中に古萩焼と見粉う氷裂出淡黄釉の茶碗がり、或は黒天目の侘びたる茶壷がある。・・・・・又赤粘土へ薄く白化粧せし目積深皿や薄緑釉糸切の小皿があり、そして後代には染付物の磁器を製し、中には辰砂など発見されたのである。」


調べてみるって面白いですね。
過去に買って手放したモノが、どーもここの窯みたいです。残念^^;

そして新たに類似した窯も思い浮かんできます!

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