May 27, 2007 10:50 PM
土器と空木
庭の空木(ウツギ)が咲き始めました。
花を切るときによく思い出すことがあります。
10年以上前に読んだ本ですが
「茶の本」岡倉 天心 (著)のなかで
「・・・手当たり次第に花を摘むのではなく、心の中で描いた花の構成に基づいて、一枝一枝を吟味し、選定していくのです。・・・」と。
なかなかこうはできませんね。
この本読み返してみると、また面白く感じられる箇所がありました。
「華道は、十五世紀に茶が始まったのと同時に起こりました。最初の生け花は、初期の仏教の僧侶が、嵐で飛び散った花を集め、生きものに対する限りない思いやりの気持ちを込めて水の入った器に入れたのが始まりだといわれています。・・・」
生きものに対する限りない思いやりの気持から始まったというのはいいですね。
他にも、この本の中には花を生命のあるものとして扱い、現代では考えられないような事ばかりです。例えば花がしおれると川に流すか土に埋め、霊を葬って墓碑を建てたりだとか。あり得ないですが、この精神は学びたいところです。
花入れ(土器)は、何年か前に大宰府のおもしろ市で購入したものです。
土器にも時代や地域によって形が異なったりがあるようですね。
これは何度聞いてもなかなか覚えられず
やきものでも分野が違うとさっぱり分かりません。^^;
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Comments (7)
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お早うございます。いつも楽しく拝読しています。
>この本の中には花を生命のあるものとして扱い、現代では考えられないような事ばかりです。例えば花がしおれると川に流すか土に埋め、霊を葬って墓碑を建てたりだとか。あり得ないですが、この精神は学びたいところです。
こういうセンスは現代でもありえない事ではないと思いますよ。別に自慢話をするわけではありませんが、現に私のような者でも枯れた生け花をゴミ箱に捨てるのは忍びないです。ですから、庭の隅のほうに捨てる、と言うか土に帰してやります。そういうセンスってやはり無意識の内に受け継がれてきているのだと思います。うつわやさんの中にも当然おありだろうと思うのですが。
ラッコさん~こんにちは。
多少は心得てるつもりですが、お疲れ様って感じでわたしは庭の隅に捨ててます。
それがまだ捨てるという認識しかできません。
霊を葬って墓碑を建てたりだとか葬るとまではいかないんです。
「捨てる」と「葬る」では同じ行動でも差があるかなと感じました。
犬や猫は絶対捨てるって言わないでしょ、
でも花は捨てると思ってます^^;
花も葬るって言えるようになれたらいいなと思った次第です。
この本の一部だけ取り上げましたが、
まだまだ面白いところが沢山あるとても好きな本です。^^
『茶の本』久しく書棚の中でほこりを被っていましたが、再読してみようと思いました。
うつわやさん、お早うございます。
確かに動物の場合とは違いますよね。明らかに。
岡倉天心の「茶の本」はえらく感動した本でした。西洋人に向けて自分たちの文化を説明する目的で書かれたという所も実に貴重ですよね。近代日本を知る上でも必読の書ではないかと思ってます。なんだかまた読みたくなってきました。
desafinadoさん、これが本来の茶道の姿だったのではないかと思いました。
それと、以前コメント頂いた谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』
このブログを見た知人が「これは読んだ方がいいですよ」と貸して下さいました。
読みはじめたばかりですが、昔の薄暗い日本家屋が浮かんでます^^
ラッコさん、えらく感動した本>私も同感です。
『茶の本』興味がある方は↓こちらで読めます。
http://www.sekiya.net/cha-no-hon/tensin/bookcha.html
聞けたりもしますが・・・声が変^^;
うつわやさん。見ました。面白いHPですね。でも、でも、でも、でも、やっぱり岩波で出ている村岡博の名訳の方が絶対に良いです。格調高くて。
翻訳によって違うかも知れませんね~
いや~ありがとうございます^^