May 31, 2007 1:00 PM
時代の新化
昨日は陶芸教室の日。(生徒ではありません)
教室までは車で片道1時間の距離。(田舎だと結構あります)
車内で何を聞こうかなぁ・・・と
茶の本の朗読を思い出し、「小林秀雄 音楽について―談話・音楽」を。
このCDを初めて聞いた時は、驚きました。
小林秀雄は講演が上手いと聞いていたので、期待が大きかったのがいけなかったのか、肉声は近所のおじさん?呑んでる?って思えるぐらいの話しっぷりで、最初は何を言ってるのかさえ聞き取れませんでした。
解説をみると直ぐに分かりますけど、読まなくても何度か聞くと分かるようになりました。
このCDから談話の一部紹介しますと
耳の構造というものは・・・
鳴るということは、ある蓄音機がある一つの音を出すということは、一つの歴史的な事件ですよ。二度と繰り返されない。それを二度と繰り返そうと思ってるわけです。
あれは、たった一回の事件ですよ。これはまず明瞭なことだね。それを蓄音機は何度も繰り返すと錯覚してるんだよ。
ところが、蓄音機だって非常に微妙なメカニスムでしょう。二度と同じ音を出さんですよ。今日は昨日よりも少しすり切れていますよね。モニターだってすり切れていますよ。そのすりきれているのが、どうして僕らにわからないの。わかるはずなんだよ。そんなことでなくたって、やっぱり蓄音機が一つの音を鳴らすということは、微妙に考えれば、ただ一回の事件です。明日は違って鳴りますよ。それを耳が聴きわけられないだけなんだよ。
と熱く語られても・・・ iPodで聞くと違和感ありますよ。
小林先生、時代はiPodまできておりますぞ!
iPodの前は・・・
Trackback (0)
Trackback URL: http://www.utuwa-ya.jp/mt/mt-tb.cgi/2599
Comments (4)
Post a Comment
うつわやさん。
小林秀雄は20代の頃の私にとって大きな教養体験の一つでしたが、デモテープでその肉声を聞いた時の違和感は今も覚えてますね。はっきり言って、威厳のない声です。キイキイ声です。ガキっぽい声です。幻滅しました。
で、テープを買う気にはなれませんでした。
でも、音の一回性という問題は、先生の言うのとは違った点で、やはりあるのだと思います。
つまり、「耳の構造というものは・・・
聞くということは、自分の耳がある一つの音を聞き取るということは、一つの歴史的な事件ですよ。二度と繰り返されない。それを二度と繰り返せると思ってるわけです。
あれは、たった一回の事件ですよ。これはまず明瞭なことだね。それを我々は何度も繰り返すと錯覚してるんだよ。
ところが、耳だって非常に微妙なメカニスムでしょう。二度と同じ音を聞き取らないんですよ。今日は昨日よりも少しすり切れていますよね。鼓膜だってすり切れていますよ。そのすりきれているのが、どうして僕らにわからないの。わかるはずなんだよ。そんなことでなくたって、やっぱり耳が一つの音を聞き取るということは、微妙に考えれば、ただ一回の事件です。明日は違って聞こえますよ。それを僕らが聴きわけられないだけなんだよ。(←当たり前でしょ?)」
今だったら先生そうおっしゃるかも知れませんね^^;
これは談話ですしね・・・^^;
当たり前の事でも各々の主観によって違いますからね^^。
視点を変えて、例えばですね・・・
小林秀雄という人は、蓄音機で同じアルバム何度もすり切れそうになるまで聴いていたのかなぁとか、(蓄音機の音を想像したり)当時(昭和62年の録音)の時代背景を想像したり、音楽の好みなんかも分かると楽しいんですよ。
小林秀雄はSP時代のカザルスが好きで蓄音機で聴いたと思うんです。
(でた当時はきっと蓄音機って凄かったでしょう)
その同じアルバムをiPodで聴くのって、面白いでしょ
変わらないものと、変わり行くものとかね。
お゛- iPod!
よぉ~し、ボクだって
↑ス、スミマセン 当分無理っす(笑)
おっ^^お待ちしておりました!
無理すかぁ~残念^^;
近々おじゃまします~