July 27, 2008 11:44 PM
10年前の宝物
工房の掃除をしてみつけた懐かしい唐津の茶碗。
近頃は使うこともなくなり、ホコリまみれになって、工房に置かれたままになってました。
いただいた当初は嬉しくて、古唐津の茶碗を所有する喜びに満ち溢れ、味のある削り、色付いた土色、細かな貫入に見入り宝物のように愛でて使っていました。
しかしながら、この茶碗に対する喜びもつかの間
新しい茶碗がやってくると、継ぎが多いこの茶碗は忘れ去られたものへ・・・
久しぶりに手にとってじっくりみると、口の作りや全体の形(継いでる所は別にして)釉薬の掛け方などはとても参考になり、古唐津の凄さを感じながらも、やはり使う気になれないので、再び工房に参考資料として置くことに・・・。
Trackback (0)
Trackback URL: http://www.utuwa-ya.jp/mt/mt-tb.cgi/2395
Comments (7)
Post a Comment
くっくっく、伊藤氏は男もしくは女を何人も取っ替えます。
(;^ω^v
左側ぐい呑みなら、そこには置いとかないんだけどなぁ…。
Buhiさん~それだけの技量があればやきもの屋になってないかもです(笑)
(私の場合は器ですが、それで成長を遂げてます!?)
四月亭さん~左は口径10.5cm一般的には茶碗にも盃にもならずの寸法で・・・
(やはり工房に置いて、これを見ながらぐい呑み作ります!)
欲しい物が手に入れば、その瞬間から次の標的を探す...それは、骨董に憑かれた者の宿命です。
次々と古唐津を物色するのは、古唐津を得る事によって分泌される脳内麻薬エンドルフィンの味を知ってしまったうつわさんの脳が新たな快楽を求めている所為であって、ご自身をを責める必要はございません(笑)このブログに集うみなさんも同じ症状に悩まされております。
話は変わりますが、詩人の城戸朱理さんのブログはご覧になったことがありますでしょうか。最近の記事にて、青山二郎の神格化について多少手厳しく論評されていましたが、興味がおありなら一読をお薦めいたします。
また、このブログには、氏の収集された骨董や工芸品についても、色々な話を交えて紹介されておりますが、時代、生産地に囚われない収集は、私にとっては大いに学ぶところがございます。
城戸朱理のブログ:2008年07月24日
http://kidoshuri.seesaa.net/article/103477952.html
初期の高取(宅間、内ヶ磯)や上野(釜の口)も好きなんですが、圧倒的に数が少なく、あっても買える金額ではないので、身近で手頃な使える古唐津にかたよりがちになってしまいます。
脳内快楽といわれれば、そうかもですね(笑)
こちらのブログは、過去に同じ手の皿が掲載されており嬉しく拝見させていただいた事がありました。
http://kidoshuri.seesaa.net/article/16591197.html
青山二郎さんの記事はまだ未読でしたので、お知らせいただきありがとうございます。
実は、私がうつわやさんのブログを初めて拝見したのは、数年前に古高取を色々と調べていた時でした。九州の古陶磁全般が好きなのですが、何を隠そう、私も初期の高取と上野には、古唐津同様、強く惹かれる一人です。地元からもそう遠くありませんですし。
古高取を見る時、そこには古唐津ほどの野趣はありませんが、その造形と施釉には一貫した美意識を感じます。
私、お茶をやらないのでお茶碗の類は一切所持しておりませんが、斑の古高取でもあれば始めてもよいかとも思います。これって本末転倒ですか(笑)
初期の高取、上野は唐津と見分けのつかないものも多く、古唐津として伝世しているものも見受けられるようですね。
ちょっと前に九州陶磁文化館で大振りの斑茶碗を見たのですが、高取と書かれていたから分かったものの、唐津と間違えそうでしたよ。
私も茶碗を使いたいからお茶の稽古に通い始めたようなもので、お茶の先生を紹介していただくときの第1条件は、道具がわかり、よい道具をもっているでした(笑)