うつわやブログ

  • /

August 24, 2008 11:46 PM

朝鮮がらすと朝鮮がらつ

先日、多久歴史民俗資料館の前でカチガラスを見て、友人の話を思い出す。

katigarasu.jpg

友人の祖父は伊万里在住。子供の頃からカチガラスを朝鮮ガラスと呼んでいたそうです。

友人曰く「朝鮮唐津の語源は、きっと朝鮮ガラスが変化したはず」と。

朝鮮ガラスの彩りを間近でみると、友人説もまんざらではないような気になり

唐津在住の窯元にお聞きすると「それは絶対違うよ、朝鮮陶工が作ったからで、昔は藤の川内窯のことをそう呼んで、時代が経つごとに藤の川内窯の代表的な白黒の掛け分けをそう呼ぶようになったんよ、朝鮮人が作った唐津焼だからよ」と言われてました。

そうお聞きしながらも、朝鮮ガラスが朝鮮唐津の徳利に似ているような・・・
(写真は後ろ姿ですが、正面のお腹部分は白いです)

やきもの辞典による朝鮮唐津とは

唐津焼の技法の一つで、黒鉛釉と藁灰釉とを上下に掛分けたもの。主として水差・花生などの茶器で、藤の河内窯で多く焼かれた。


ここで古作の写真をだしたいところですが、持っているのは"まだらとあめ"ぐらいしかないので、現代陶の朝鮮唐津を。


tyousennkaratu.jpg

西岡良弘氏の朝鮮唐津向付

せっかくなんで、上記の説をひとまとめにしますと・・・

藤の川内古窯の掛分け徳利を見て・・・

朝鮮陶工「なつかしか~これは故郷におったカラスんごとある焼きあがりばい」
日本陶工「「朝鮮ガラスんこつね。よー似ちょるばい」
それを聞いた商人「カラスじゃのうて、これはカラツ焼ばい」

と、まぁこんな感じて、朝鮮唐津と呼ばれるようになった・・・
(仮説なので定かではありませんが・・・)

Trackback (0)

Trackback URL: http://www.utuwa-ya.jp/mt/mt-tb.cgi/2404

Comments (11)

カチガラスの色と、明治初期頃の青い藁灰と黒の飴釉の掛け分けは確かに良く似ています(笑。
まんざらではない説と思いました。

濡れ羽烏かあの子の髪か…

黒唐津は、さすれば「濡れ羽唐津」と呼ばれて、黒高麗も「濡れ羽高麗」と…悪くはないご考察です。

ただ唐津の語源をからすにせにゃならんですばい(笑)

良広さんの斑は、淵を覗くようなおそろしさを覚えるときがあります。

 wassenaarさん、今までカチガラスは白黒だとばかり思ってましたが、はじめて間近で観察しブルーに気付きましたよ。
似てると言っていただけてよかった。

 四月亭さん、濡れ羽唐津、濡れ羽高麗、このような呼び方があったのですね。
近い感じがします。

唐津の語源をカラスにするちゃーおおごとばいね(笑)

良広さんの向付はいただきもので、探しだすのに苦労しました。斑を拝見する機会があったらじっくり覗いてみます。

カチガラス初めてしりました。
朝鮮出兵のおりに朝鮮半島からきた鳥のようですねー
なるほどなるほど・・^^
こういう説は大好きです。
それから、唐津弁も田川弁と似ていますね^^

藁灰と飴の掛け分けを施したものの焼き上がりが「カチ」のような色具合に仕上がったものを「カチ唐津」と呼んだとしたら・・・・・・蛇蝎唐津なんていう名前もあるのでこれはあり?・・・・・それを聞いたどなたかが、カチを「朝鮮カラス」と取り違えて読んでしまったとして、それがいつしか「カチ唐津」=「朝鮮唐津」と転じたとすればね、いっそうありそうな話かと。
如何でしょうか(笑。

韓国では昔から、カラスは縁起の悪い鳥で、嫌われてきたそうですよ。朝鮮陶工が、縁起の悪い名前を、自らの作品の名前に付けることはないと思いますが、、、。

 66さん、カチガラスの日本での生息地はかなり狭いです。
福岡でも一部の地域だけのようで、めったに見ることはありませんよ。
上記が正しい唐津弁かどうかは定かではありませんが、炭鉱時代にも行き来があり、似ている言葉が多いようです。

 wassenaarさん、「カチ唐津」ですか~
それはないでしょー、100%とは言い切れませんが・・・(笑)
朝鮮カラス=朝鮮からきたカラスですよ。
きっと・・・多分・・・

 wadaさん、私も朝鮮陶工がつけた名前ではなく、流通に携わる者か、茶人などの使う側が付けた呼び名ではないかと思い、後半のまとめに”それを聞いた商人”を登場させてみたのですが・・・(”町の衆”にしようかとも思いましたが、宗湛が浮かんだので商人としてみました。)

以前、書籍で朝鮮唐津の名の由来を「外国風であるから」としているのを拝見しましたが、私は基本的にその案に同調しております。

現在、多くの日本の動植物の名称に「チョウセン」を頂くものがあり、その殆どは帰化動植物でありますが、渡来経路が南蛮・紅毛交易であったり、シベリアや中国であったりと、必ずしも朝鮮半島由来ではないということです。または亜種であり、少なくとも命名されたと思われる江戸から明治には比較的珍しい種であったことです。

つまり、古来日本風のものと外国または外国風のものを区別するものとして「チョウセン」という言葉が使われた可能性が大きいと思われます。日本で複数の釉薬を使用した陶磁器は「朝鮮唐津」以前にも存在したのでしょうが、朝鮮人陶工によって持ち込まれた蹴轆轤、登り窯などの技術に加え、国焼きに見られない斬新的な掛分けの施釉法を持ち合わせた「外国風の」唐津焼きを差別化するものとして朝鮮唐津の名を与えたのではないか、と私は推測しております。

再び素人の愚説を開陳させてもらいました。お目汚しご容赦願います(笑)

という事はですよ

「朝鮮唐津」=「外国風」
「朝鮮カラス」=「外国風」

ゆえに
「朝鮮唐津」=「朝鮮カラス」

ということに・・・は、なりませんね。
どーか、笑って見過ごしてください。m(__)m

こっ、これは、はるか昔に習った間接証明ですか。
古陶磁愛玩の愉しさは、誰も当時のことを詳細に知らないところにもあります。ご友人の説が真相だったりするかも(笑)

うつわやさんは、たしか豊日方言圏にお住まいですよね。年を重ねると地元の方言も使う機会が少なくなりましたが、親類の子から「おいちゃん、何しよん?」等と言われると、懐かしい気持ちでいっぱいになる昨今です。

真相が書かれてるものが発見される日までは、遊べますね(笑)

豊日方言圏←分からなかったので検索してみると、この中に含まれていました。
世代がかわるごとに方言もなくなりつつありますね。

Post a Comment

カテゴリ
最近のブログ記事
アーカイブ

↑