September 7, 2008 6:53 PM
強引に夏茶碗
過ぎ去る夏をおしみながら・・・
この古唐津を買う時に、「これは夏茶碗にもつかえそうですね」というと
前所有者「それは無理やろー、これは皿ばい」といわれましたが・・・
高台は熱く焼けだだれた石の如く、釉はまるで流れる滝のように、夏の風情をとじこめており、これほどのものは茶碗としてつかわねば!と、心揺さぶられました。
そうは思いながらも、今らか秋、冬、春へと向かう時期はお皿としてつかうかも・・・。
話、変わりますが・・・
私に残された借金は
少し減りつつ、残りはこれくらいとなりました。
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Comments (6)
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高台と釉の流れ本当に良い感じですね!!
確かに心揺さぶられるのはうなづけます。
「それは無理やろー、これは皿ばい」とはもっともです。確かに一般の人の感覚ではこれは皿ですよね、でもあえて平茶碗として見立て 夏に茶を点てる、これぞ「侘び茶」ですかね。
四寸の古唐津の皿は比較的よく見かけますが、五寸とは珍しいですね。土見せが無釉の焼き締め陶器の様にカリカリに焼き上がって、いい感じです。
左党の方々が古唐津をなんとか使いたくて、小皿を平盃に見立てるのと同じく、少し大きめの皿を平茶碗に見立てるのもありだと思います。「見立て(転用)」という言葉は、数奇者にとって非常に都合がよく、しかも、日本文化を代表する茶道の美意識にも適うものなので堂々としていましょう。
しかし、数奇者ってなんともいじらしいですね(笑) そう言う自分も例外ではありませんが…
この高台をみれば、これは、とりあえず一服立ててみようと思うのは自然の理です。
我々が、こういう類を夏茶碗や小服に見立てて冷笑されて、ある一定のネームバリューのあるような方が見立てるとパチイパチパチさすがセンセ…なんてのには不満です。
小服さん、これが「侘び茶」でしょうか~
私の懐具合の方は、もっと侘しいのですが(笑)
西家庵さん、数奇者(スキシャ・スキモノ)とも読めますね
(スキモノだと聞こえが奇人、変人と紙一重のような・・・(笑)
箱でも作って堂々と「古唐津平茶碗」と書きますよ。
四月亭さん、そう言っていただけると光栄です。
例え冷笑されたとしても、このような茶碗だと楽しくて幸せを感じる私ですが、
みんなが楽しくないと一緒には遊べませんよね(笑)
平茶碗でも向付でも両方OKす♪
本歌というのが気持ちがいいす。発掘どうこう値段が安価いう問題やなかと。
んっで、ローンは5千円くらいになったのでせうか|ω・`)
Buhiさん、どーもです。
ローンが5千円くらいになったら、新たなモノ買ってます(笑)
箱の中身、支払いがなかなか終わりません。