うつわやブログ

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November 20, 2008 9:03 PM

小代焼と八代焼

ネットで見つけた一枚の陶片の写真が気になり、小代・八代焼について調べてみると・・・
はじまりは、細川家が寛永9年(1632)に豊前小倉から移る以前から開窯されており、朝鮮系の象嵌や唐津(上野)系統などが見受けられます。

「八代焼ー伝統の技と美」図録より

20081119yatusiro01.jpg

狂言袴香炉は、高麗の象嵌青磁を思わせます

20081119yatusiro02.jpg

奈良木窯の出土品は古上野のようにも見えます。
(陶工が移動してるので当たり前なのですが・・・)

八代焼奈良木窯跡出土陶片は八代市立博物館で拝見できます→こちら

「日本陶磁大系15上野・高取・八代・小代」 に狂言袴茶碗について書かれてましたので抜粋しますと

利休が秀吉から蟄居を命ぜられ、堺へ下る時、淀の渡しまで見送ったのは、織部と三斎であった。それから利休の立場が深刻化する中で、亡くなる1ヶ月前に三斎に贈られたのが、銘「引木の鞘」と呼ばれる狂言袴の茶碗である。
~中略~この茶碗は三斎と共に八代に移った。その後、三代細川光尚から堀田加賀森へ贈られた。この頃より、八代の奈良木窯にも象嵌手が焼かれている。平山窯に移ってからは、そのほとんどが象嵌手といってよいほど象嵌一色になる。どうしてこのように象嵌に固執したのか、徳川幕府の体制成立という時代背景があったとはいえ「引木の鞘」が何か因をなしていたのかもしれない。

定かな事はわかりませんが、「引木の鞘」が後の八代焼に影響を与えたのではないかと捉えているあたりは、細川家の人物像も浮かび上がってくるようで、興味深く拝読しました。

利休さんから三斎さんへと贈られたその茶碗は・・・
「千利休展」京都博物館図録より

20081119yatusiro04.jpg

「引木の鞘」

こちらも同じく贈られた茶碗です。

20081119yatusiro05.jpg

「子のこ餅」

写真を見ておりますと、後に作られた三斎好みといわれるものが色濃く感じられるかのようです。

八代焼の400年近くあったのではないかと思われる歴史の中で、焼かれたものは、ごく一部しか分かっておらず(細川家以前の初期にあたる加藤家時代にどのようなものを作っていたかは、未だに不明な点が多いようです)

「八代焼ー伝統の技と美」図録より一部抜粋しますと

八代焼の古作は唐津や上野、高取に、象嵌の一部は朝鮮陶磁の中に紛れているのではないかという事は早くから指摘されてきた。 これらの解明も初期の八代焼を考える上で重要な課題であろう。

との記述があり、唐津や上野、高取のほかにも京唐津といわれるものの中にも紛れてるような感じがします。


これらの窯について気になっていたこととは・・・
漆川内焼窯跡から出土した陶片の高台が、今まで唐津と思っていた"象嵌の茶碗"の感じに似てるように思え、このあたりの窯ではないかと調べ始めたのですが・・・

その"象嵌の茶碗"はこちら→「陶片探しの旅(4)」

他にも、土の感じはかなり違いますが、小代に井戸形の茶碗などもあり

20081119yatusiro03.jpg

日本陶磁大系「上野・高取・八代・小代」より

小代・八代系統の可能性も充分ありそうな・・・

もしかしたら、"象嵌の茶碗"は細川家のお好みだったり・・・などと妄想中です。

11月29日 画像追加

20081129misimanochawan01.jpg 20081129misimanochawan02.jpg
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Comments (8)

これが「子のこ餅」ですか!!!
始めてみました@@現存するんですね。

こちらの象嵌のお茶碗は、私も唐津以外の可能性も色々と疑っておりました。
まだこれと云った確証は得られておりませんが…

地元だけあって、八代市立博物館は八代焼の収蔵品を数多く有していますね。
私もよく参考にさせて戴いております。
熊本県立美術館にも八代や小代の収蔵品が結構ございますので、
よろしかったらこちらから検索してご覧下さい。

「熊本県立美術館 デジタルアートミュージアム」
http://www.museum.pref.kumamoto.jp/search/syozo/frame.html

象嵌の見事な八代焼を小品でも一点くらいは入手したいのですが、
実際に所有しているのは八代焼から派生する松尾焼の小皿一枚だけです。
この松尾焼は、椎の峰あたりに紛れて市場に出ているのを時々見かけます。
そう言えば、最近ヤフオクにて揃いで出品されておりました。

「Yahoo!オークション - 松尾焼 印花文天塩皿5枚」
http://page10.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/m55765232

八代の上野のような古いタイプの鉢はもってますが、あまり歴史には詳しくなかったので勉強になりました。

いつぞや骨董雑誌で小特集してましたが、やはり茶陶など上手なものが多かったですね。

しかしお殿様ともなると先祖は焼かせて、末裔は自分で焼く…。

bion5555さん、「子のこ餅」は存在しましたよ。
奥高麗肌の筒型でした。極めて少ないらしいですね(画像の↑解説より)

西家庵さん、もしかしたら鹿児島あたりを探ってたり・・・(砂目跡とはこの茶碗のこととか)。確証が得られましたら是非お知らせください。

「熊本県立美術館」検索してみます~ありがとうございます。

松尾焼を知らないと、唐津と思ってしまいそうな象嵌ですね。
(唐津より高台の処理が丁寧な感じがします)
椎の峰にも象嵌があり、白泥の型抜きなどもあるので、区別するのも一苦労かも・・・。

Anonymous(匿名?)さん、写真をみますと、八代の高台は上野焼きにもありますように渦巻きになったものが多いようですね。
上手の茶陶が多いのはお殿様のお好みでしょうか。

>しかしお殿様ともなると先祖は焼かせて、末裔は自分で焼く…。
方法は異なれど、お好みのDNAは末裔まで続いてたりしそうな感じが・・・。

先日、こちらのお茶碗は、唐津以外の可能性も疑っていると申しましたが、
おおよその見当は一応つけております。
私の手元に現物がなく、インターネットだけで得た情報ですので、間違いない
とは言い切れませんが、古唐津で、窯は小峠だと推測しております。

先ず、①の上の皿と②を見て戴くと、②はあまり見かけない五寸皿ですが、
中央の刷毛目の描き方、釉薬、土味、いずれをとっても同一の窯、つまり双方
とも小峠と言って差し支えないと思います。

①「うつわやブログ 刷毛目の小皿」
http://www.utuwa-ya.jp/blog/2007/11/post-224.html

②「唐津櫛刷毛目平茶碗」
http://www15.plala.or.jp/koimari-bi/

次に、②③の見込みを比較して戴くと、③は釉薬が厚く掛かっているのか、
または釉薬の種類が違うのか、色調こそ若干違いますが、砂目、柚子肌風の
釉薬、全体的な雰囲気がよく似ています。
裏返しても、鉄分の多い土、ぞんざいに掛けた釉薬、高台の造り、器形の割り
に小さな高台と共通点が多いと思います。

③「うつわやブログ 三島の茶碗」
http://www.utuwa-ya.jp/blog/2007/06/post-517.html

最後に、①の上の皿と③の高台脇の溜まった白濁の釉薬、その掛け方、そして
①の下の皿と③の高台の土味と造りを見るとき、このお茶碗は同じ窯で焼かれ
たのではないかと私には思えるのです。
また、小峠では三島も刷毛目も焼いていたそうですから、刷毛目用の刷毛を
象嵌を彫る道具に持ち替えて波線を彫って、こちらの茶碗の意匠としたのでは
ないかとも推測しております。

以上、推測に推測を重ねただけの暴論に過ぎませんが、物証が手に入らない私
にはこれが精一杯です。
ここから先の検証はうつわやさんに委ねることに致します。
勿論、間違いをご指摘されても一向に構いません、間違いが分かれば選択肢を
更に絞り込むことが出来ますから。
どこからか同手の陶片でも確認できれば、手っ取り早いのですが…掘りますか(笑)

余談になりますが、うつわやさんは三島の茶碗と仰りますが、化粧土を塗って
削った感じに見えず、私のモニターで確認する限りは、釘彫りした上から乳白
の釉薬を掛けただけに見えます。
もしそうだとして、その様な技法でも三島手と呼ばれているのですか。

西家庵さんありがとうございます。
入手して直ぐに手持ちの小峠の小皿&収集家宅の小峠の陶片とは比較してみました。
②「唐津櫛刷毛目平茶碗」とはかなり似ていますね (リンク先「古伊万里の美」さんに感謝)

>小峠と言って差し支えないと思います
差し支えはないのですが・・・この茶碗と同手の沓茶碗が存在する事から、
これらの茶碗は完全な茶道具として作られており、小峠では無いような気がして、茶陶を製作し沓茶碗がありそうな窯を・・・
(小峠にも水差しなどの茶道具がみられますが、沓茶碗は考え難いような・・・)

>うつわやさんは三島の茶碗と仰りますが、化粧土を塗って
削った感じに見えず、私のモニターで確認する限りは、釘彫りした上から乳白
の釉薬を掛けただけに見えます。
もしそうだとして、その様な技法でも三島手と呼ばれているのですか。

正確には三島より象嵌茶碗と呼んだほうがいいかもしれません。
(三島茶碗でも悪くはないと思いますが・・・)
白泥が入っている場所と、入ってない場所があります。

刷毛目の同手の小皿は小峠周囲の窯にも存在しますので、その周囲も気に止め、またそのうち陶片探しの旅に出ます(笑)
いろいろとご教授いただきありがとうございましたm(__)m

追加画像と沓茶碗のリンク、ありがとうございました。
沓茶碗の方は、なぜだか閲覧出来ませんでした。

私自身も小峠といかにも茶陶らしいお茶碗とは結びつきにくく、それゆえに
他の武雄系の窯をと色々と模索しました。大草野にしては意匠が雑に見える、
しかし成形はそれらしく…と、そこから停滞したままでした。

手元に資料がなく、稚拙な説ではありますが、取り敢えずは報告して判断を
仰ごうと思いました。三人寄れば何とやらで、駄目なら選択肢から外されて、
その内いい案を誰かが思いついてくれるとの楽観的な考えからです。

それにこの度、件の刷毛目の小皿は小峠に限られたの意匠でなく、周辺の窯
にも存在すると知ることが出来たのは、私にとっても収穫ですし、その一方、
残念ですが、このお茶碗が小峠で焼かれたとは断言できないことも学びました。

また私の方で珍案が浮かびましたら報告させて戴きます。
こちらこそ勉強させて戴き、ありがとうございます。

私のほうも小峠周辺の窯に大きな可能性を感じられるようになっております。

またの珍案を楽しみにしております。
私も負けず珍案をふりしぼる所存であります(笑)

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