うつわやブログ

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July 26, 2009 10:18 PM

最近買った本

HPの「お問い合わせ」よりお勧めいただいたき 「朝鮮茶碗と私」 という本を購入しました。

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本に掲載されていた4点の作品

勧められた時、どんな本なのか見当がつかず、作者の森田 十雨(統)を検索してみると、見覚えのある茶碗を制作されており、伊羅保系統の茶碗は古陶と間違えるほど忠実な作りのようで、深い興味が湧き、この本を読んでみたいと思いました。

序文・高梨任三郎氏

「いらぼ」「柿の蔕」「ととや」など、一連の高麗茶碗の写しに生涯をかけた現代の茶椀作りの名手森田統が、自己の凄まじいまでの生き様を語り、名碗の美と魅力を説き、40年にわたる自己の陶法を惜しみなく披露した、茶人、愛陶家、陶芸家必読の書。      発行:昭和堂(1983年) 定価:1800円 

10年ぐらい前になるでしょうか・・・有光先生に紹介いただいた骨董屋さんにて、唐津の名品の数々を拝見させていただいたことがあります。
ちょうどその時に有名な収集家から大量に売りにだされたもので、いまだかってそのようなものを手にとって見たこともなく、興奮と感動が入り混じり、ただ圧倒されるばかりで、唐津の凄さを体感するかのようでした。
今思えば、それが唐津にとりつかれる大きな原因になったような気がします。

20090726irabochawan02.jpg

こちらは有光先生 作

しかし、そのようなものは触れられても、僅かな一時。どう転んでも所有できる手の届く範囲ではないと分かりながら・・・しかし、心境は何か欲しい!
そちらでは前にも李朝の茶入など数点購入しており、言葉にだして言わずとも私の心の底までも見透かされているような心持を感じながら・・・「何か私の買えそうなものはないでしょうか?」とお尋ねし、手頃なものをだしていただきました。
そのなかにあった伊羅保の片身替の茶碗が気に入り、「朝鮮モノか楽山窯(出雲)か、わからない」と言われながらも、丹精な作りの茶碗の姿と価格につられ購入しました。

それから数年が経ち、どこの窯のものか本で調べ、出雲あたりの窯の可能性を強く感じながら、結局答えは出ぬままとなり、とある研究会で鑑定をしてもらいました。

鑑定にもっていくと、茶碗に対してなんだか周囲の冷ややかな視線・・・
「お茶漬け茶碗にしたらいいよ」といわれ、鑑定料5000円も支払ってしまった(笑)
その時、贋作だった、騙されたなど、一瞬頭に浮かんでしまいましたが、自分の目で選び納得し買ったものですから、その責任は自分にあり、より多くの知識を身につけたいと感じております。

その茶碗はもう手元にはありませんが、この本と出合い、その時の茶碗をなつかしく思い出しました。写真を見る限り(価格も同じ範囲に収まり)その時の茶碗は、この作者が作られたような気がしてなりません。

贋作といえばそれまでですが、それ以上のものをこの本は教えてくれそうです。

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Comments (5)

良い話しですね。

この本 以上に「有光武元」さんの茶碗に目が行きます。

みんな有光さんの作品なのですか? 
手前の一碗だけですか? 良い茶碗ですね。

森田統(十雨)氏の朝鮮茶碗はすごいと思います。
なかなかこれだけやる人を他にそう知りません。
うつわやさんが森田氏の茶碗を選ばれた目はさすがと思いました。

小服さん、2枚目の画像は全て有光先生の作です。
個展に出せなかった茶椀で・・・みつかったらおこられるかも(笑)

堅手屋さん、他にあったものは無名の作者ながら(古陶)いいものでしたが、手が届きませんでした。
そのなかから安く買えて状態のいいものをと欲をだして選んだのが、現代陶だったので、さすがといわれるほどでも・・・(苦笑)

>自分の目で選び納得し買ったものですから、その責任は自分にあり~
このお言葉、中々出てくるものではありません。お人が出来ていらっしゃる。
しかし、お店側も顧客に販売して収入を得る以上、取り扱う商品の情報は
把握しておくべきであると思いますが…

私にも、江戸後期の肥前陶器だと思ってリサイクルショップで買ったものが
実は薩摩(苗代川)の黒もんだったりといった間違いはありました。ですが、
値段が張る物でもなく、黒もんを初め他の九州古陶磁に興味を持つきっかけ
になったのですから、必ずしも失敗とは思っておりません。

間違いから学べたこと、肥前陶器とは別の扉が開かれたことは幸運でしたし、
「災い転じて福となす(七転び八起き?)」くらいの意気込みが無いと、骨董
好きはやってられないですよね、実際^^

>このお言葉、中々出てくるものではありません。
こうでも思わないと、全ての骨董屋さんの言葉をうのみにしてたら、恨みつらみが増すばかりで(笑)
支払い能力がないのに、よいなりして、上がりがよくて、傷がすくなくて、、、そういう物を欲しがってので、骨董屋さんもお困りだったと思います。

店主が知らなくて、欲しいものが安く買えた時はとても嬉しいですよね。
(店主が知らないふりして、極上の伝世を安く買った時は怖いですが・・・)

自分で調べていけば、それが見る力となって養われ、あらゆる危険も回避できるような気がします。

災いで終わらせずに、それを転じ、福となるよう心がけたいですね。
豪雨の被害があちらこちらでみうけられるなか「災い転じて福となす(七転び八起き?)」心に響くよい言葉です。

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