うつわやブログ

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September 1, 2009 12:08 AM

最も愛された塩笥

3年前、いただいたコメントにより、この塩笥茶碗の存在を知りました。

「掌の美」より "最愛"のかわず 粉引茶椀 

可愛いっ。どうしても欲しい!!・・・(中略)・・・掌にちょうどすっぽりとおさまる小作りな姿。これも粉引ならではの、とろりとやわらかい肌さわり。飲み干して内側を覗けば、長い歳月が、クレーの世界のような景色をつくっている。粉引が大好きな私だが、それ以上にこの一碗は、魔法の力をもっている。魔法、といったのは、これを手にしたとたん、人間がもっている美しい感覚や性質がすうっと掌にはいってくるような気がするからである。すると私は、穏やかに素直になり、性善説の権化のようになってしまうのだ。茶碗は存在を主張することもなく、ただ静かにいるだけなのに。・・・・

20090830kawazu01.jpg

粉引塩笥 可和津 「掌の美」 175p

ニュウが入り、縁が欠け落ちていながら、それさえも慈しまれる、
長い年月、愛情を注がれ続けた最も有名な粉引の塩笥茶碗。

続き・・・

・・・・内側には箱のカバーがあって、そこに益田鈍翁の自記筆で"最愛"と記されている。・・・(中略)・・・数多くの逸品中の逸品に囲まれたあの鈍翁すら、"最愛"の二文字をこれに与えたのであった。
このように胴がふくらみ、口のすぼまった器形は、塩笥といい、もと朝鮮では塩や味噌の容器であったものを茶人がとりあげて、茶碗や香炉として茶事に用いるようになったという。どちらかというと、こうした形の茶碗は冬のものであるが、いつの時代にか、この茶碗を愛蔵した人が、愛らしい姿からイメージしたのだろう、新古今和歌集の「小田のかわづの夕暮れの声」からとって可和津(かわず)と命銘した。

20090830kawazu02.jpg

このような茶碗を理想とし、目標にしています・・・

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Comments (10)

「掌の美」は、私の愛読書の一つです。この「かわづ」も憧れの一品。いつか、このような器が欲しいですね。(「掌の美」の中では、他に「法隆寺伝来の懸仏」なんかも好きですね)

丹野 弘毅 ( September 2, 2009 10:07 AM ) 返信

はじめまして。
上記の画像を拝見し、メールさせていただきました。

本当に愛らしい茶碗ですね。
小生も、かねがね粉引茶碗を一椀欲しい、と思い続けておりました。

以前五島美術館で催された「鈍翁の眼展」で実見して以来、このような塩笥茶碗で冬の夜に一服喫することができたらと願っておりましたところ、先日あるお店でなかなか趣のある、魅力的な一椀に出会うことができました。
“念じれば通ず”でしょうか?

もちろん粉引きなどではなく、所謂無地刷毛目というモノです。しかし、腰から下あたりにシミが一面出ており、長きに渡り使用されてきた痕跡がみられます。
箱にも何やら銘らしきものまで記載されており、伝世品の感がありました。

手にすることが出来ればうれしい限りなのですが、しがないサラリーマンではなかなか手の出ない金額に、少々たじろいでおります。
生活費を切り詰めて、頑張ってみます。

何ですか、勢いで参加して、手前勝手なことばかり書き連ね、申し訳ありません。適当に削除していただければと存じます。
失礼いたしました。

点てづらいし、飲みにくいし(笑)でも、惹かれるんですよね、塩笥茶碗って。

wadaさん、よい本をお知らせいただきありがとうございました。
人の手をわたりあるくモノと、それをとりまく人間模様、モノに性格までみえてきそうな気がしてきます(笑)
小さな仏さまも「かわづ」と共通する愛らしさがありますね。(私もすきです!)


丹野さん、はじめまして、コメントいただきありがとうございます。
よい出会いをなされたようで、羨ましくもあり、出会わなくて悩まされる事もなくよかったとも(笑)念じていたものに出会うと心囚われ、それからが大変ですね~私も支払いに苦労を重ねています。

数年前より古陶の価格は下がってきてるようですが、もし、切り詰めた生活に苦痛を感じるようでしたら、自作の塩笥(汐景)が、お心を癒して・・・

また、刷毛目塩笥茶碗を入手できたあかつきにはコメントおよせください~。


四月亭さん、手のかかる子のほうが可愛いというか、塩笥茶碗ってほっとけないタイプなんでしょうか(笑)

私、この茶碗を見て長いこと唸っていました。
これだけ美しくしいものの前では言葉はありません。

姿も感じもに私の心にすんなり入っていきます。
掌に収めるとなんとも幸せだろうなと想像できます。

ひとつ願いが叶うなら、この茶碗が窯から出てきた時から現在までをコマ送りにして見てみたいです。
人々に可愛がられて育っていく様子の変化を見たいと思います。
きっと何回かここで止まってくれと叫びたくなる場面があるのではと思っています。

それによって私は粉引きというものが体験出来るのではないかと思います。

堅手屋さん、気に入っていただけようで、この本を紹介してよかったです。
>掌に収めるとなんとも幸せだろうなと想像できます。
幸せも訪れますが、いっしょに莫大な請求がやってくる可能性も・・・

「かわづ」の成長過程は想像することしかできませんね~。
「汐景」でよろしければ、↓こちらを・・・
http://shihoge.exblog.jp/

粉引を体験(?)するのであれば、使ってみるのが一番のような・・・
無地刷毛とか、陶片なども上手く育てば、次の使い手に譲るまでは楽しめ、器に自分の使った痕跡を残せたりも(笑)

こちらの塩笥茶碗を拝見してから、自分の中に湧き上がる感情を
どの様に表現していいのか、暫し考えておりました。

以前、うつわやさんが道園産らしき唐津のお茶碗をお見せ戴いた時、
私は「畏敬の念」と表現致しました。

こちらの塩笥茶碗にも似た感情を覚えるのですが、
それ以上に今までの所有者の愛玩の程が、生々しく、痛々しく
可視出来ることで、胸が一杯になってしまいます。

こちらの様な名碗が、私の手元に来ることはまず起こりえませんが、
例えそうだとしても、とても使えそうにありません。

適切に表現出来ているか甚だ疑問ですが、何と言いましょうか、
霊性の様なものがこちらの茶碗には宿っている気が致します。

西家庵さん、愛玩されてきたものには何かが宿るのでしょうか・・・
私も以前、耳庵旧蔵の「老鶴」という唐津茶碗をみた時にも同じように感じました。
貫入にそって多くのヒビが入り、力を入れるともろく砕けそうなくらい朽ちた印象で、胸がいっぱいになって、うるうるしてきましたよ。

お気持ちは充分伝わっているような・・・違ってたらごめんなさい。
実物をまだ見たことがないので、いつかはですね。
(実物を見られた丹野さん羨ましいです・・・)

こちらの話題と直接関係無いので、恐縮致しますが、
現在なんとも美しい高取の茶碗が出品されていますね。

若干傷気が多いですが、白味の強い藁灰釉、優しい丸みを帯びた造形が
印象的な逸品です。

耳が早いうつわやさんですから、もうご存じかも知れませんが(^^

【哲】★東博展示の古高取斑茶碗(桃山・内ケ磯)1万円から
http://page18.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w42265767

西家庵さんありがとうございます。
欲しい茶碗ですね~しかし、分割払いができないのがオークションの嫌なところです(笑)

オークションのアラート(出品者とかキーワードなど)登録をしてるのですが、残念ながら人気の出品者は手がとどかず、よいものは眺めるだけで終わってます。
私のもってる内ヶ磯より好くって、それよりも安くなりそうで・・・ちょっとくやしいっ。

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