うつわやブログ

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April 12, 2011 11:37 PM

汐景だより

お客様からメールをいただく

20110412shioge01.jpg

昨年京都でお買い上げいただいた汐景茶碗
確実に育っている

20110412shioge02.jpg

こちらは昨年の夏頃お買い上げ、すぐにお送りいただいた小服茶碗。

20110412shioge03.jpg

こちらは、数珠子と名付けた小服茶碗。

ほんとうに嬉しいたよりです。
もし、育った汐景があるようでしたら写真お送りください~。

4月14日 追記
見つけました、一番上の汐景の未使用の写真

20110412shioge05.jpg

最初はわりと地味です

そして思い出しました、一番下、火間の写真が同じ茶碗。
http://www.utuwa-ya.jp/blog/2010/05/post-267.html

ついでに、お気に入りだった茶碗の写真をお送りいただきましたので、追加。

20110412shioge04.jpg

唐津汐景茶碗

4月16日 追記
お送りいただいた数珠子のいま。

20110412shioge06.jpg

震災後にニュウが現れる

数珠子の名前は↓こちらを参照ください。
http://www.utuwa-ya.jp/blog/2010/06/post-281.html
お送りしたのが昨年の6月だから、10ヶ月の経過です。

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Comments (15)

商品としては邪道な感じがする。

↑何で邪道なんですか?
陶ならば育って良いと思うのですが・・・
勉強不足で意味が分かりません。
できればご教示下さい。
良い茶碗だと思いますが・・・

これはうつわ屋さんの作品であって、レプリカや試作品でないからです。
育つ意味が違うから。ワシの独断だから気にせんといて。

Bさん、うつわやさんが邪道なんですか、使い手が邪道なんですか?

「育つ意味」とはどういうことですか?

ちなみに画像二枚目は昨夏私が頒けていただいたものですが、朝昼晩とお茶やコーヒーを飲んで、きちんと毎日洗った上で、おのずと入った貫入です。

うつわやさんの作品だろうが、レプリカ・試作品だろうが使っていけば味も付くし育つでしょう。

この汐景はお茶につけたり煮たりするようなことは一切しておりません。

公開のブログで「邪道」と明記されたのですから、どういう根拠で「独断」を下されたのか御教示ください。

「気にせんといて」と気軽に言われますが、少なくとも掲出の二碗の内の一碗は私が一年越しで愛用しているもので、それを「邪道」と言われては不愉快です。

Bさん、はじめまして?
私も時々変だなぁ~って思う時があるのですが、好きで楽しいから止められないんです。今後も汚れすぎず、よい育ち具合を計算に入れて作ると思いますよ。

毛無猿さん、ありがとうございます。
良い茶碗といっていただけホント嬉しいです!

Bさんって、以前コメント入れてたBuhiさん?違ってたらごめんなさい。
うつわやが作ってるのは、使うための食器や道具です。
(古唐津だって400年前は新品ですよ~)

四月亭さん、ありがとうございます。
私もなにが邪道なのかよくわからなかったのですが、四月亭さんのコメントを拝見して嬉しかったです。
毎日、のんだり、食べたりするなかで、気に入ったものを使うと、それだけでも日々楽しめますし、それをもっと楽しくしたっていーじゃないですか~ねっ!

>これが色付くと、素晴らしいコントラストが生まれそうな予感も・・・
>食器とは全く関係のない趣味の領域というか、変体の領域かもしれません(汗)

以前のブログに、my汐景が載っていたんですね^0^
変態の領域のうつわに、大変よい味がついたわけですね~(笑)

真新しい汐景と並べてみると分かりますが、ホント、気が付いたら、
青味から赤味に変わっています(+0+)

これからがまた、たのしみです(~:~)

予想以上によい味わいになったと思います!
最初は、真っ白ですから、ここまでになるとはyamaさんも只者ではないとお見受けしております(笑)

毎日つかってると、よくわからないのですが、いつの間にかですよね~。
この火間が黒くなるまで、長いお付き合いを宜しくお願いいたしますm(__)m

Bはブヒさんでしょう。
育つ、茶陶での育つことを言いたかったっと思います。
二代、三代、使っての「育つ」だと、私は思いました。
茶の湯の「育つ」とは、そうだと私は思っています^^

う~ん・・・
恥ずかしいのですが(--;ますます分かりません・・・
・「茶陶での育つ」とは?
・古人や近世、現代の数奇者によって、
一代で使用変化した器は育つと言わないんですか?
・さらにこの器(汐景茶碗)に対して、
茶陶という名目の誰か?が当てはめた狭いコダワリや定義で見なくてはいけない方向に逸れる理由が、
よけい難解になってしまいました。
日々お気に入りの器を良く使ってコーヒーや紅茶、煎茶、お酒で変化した物は邪道なんですか?
この器に対していつか手にして、使ってみたいと思っていたので・・・
「邪道」だとか「育つ意味が違う」などとマイナスイメージ?を漂わせる文字が気になってしまいました。
私は、ちゃんとした茶道も、陶磁器の事も勉強不足の只の器好き素人なので、
達人の諸賢様方、わかり易く教えて頂けるとありがたいのですが・・・
宜しくお願いしますm(_ _)m。


うつわや様、B様、皆々様
事情を深く知らない私が、
軽率なコメントを書いてしまい申し訳有りませんでした。
勉強不足故、
これからも、何処かで又変な書き込みしてしまうと思います・・
その時はなにとぞ大らかなお気持ちにて、
ご叱咤ご叱責いただければありがたいです。
今回は失礼しましたm(_ _)m。

66さん、受け継ぐのも素晴らしいですね。
おじいちゃんが大事にしてた茶碗を使うのもいいでしょうし、お孫さんのために残したり、伝世してる茶碗を一時預かって、少しずつ「育つ」のも素敵ですね。

毛無猿さん、すみません~窯詰めしててお返事が遅くなりました。
わたしも分からない事が多いのですが・・・正式な茶会をするわけでもなければ、好きなものを好きに使って、それで楽しめればいいと思いますよ。
人によって好みはいろいろで、染みがはいるのが嫌いだったら、磁器やシリコン処理を施したものを使えばいいし、風合いを好むのなら、最初っから染みを入れてるものを買えばいいし、余裕があれば伝来の茶碗を使えばいいぐらいのものだと思います。
もの凄く単純で、あまりお役にたてませんが、コメントはお気軽にどうぞ。

おせっかいやき ( April 18, 2011 2:29 PM ) 返信

Bさんから四月亭さんへのご返答を密かに期待してましたが一向にないので
Bさんのものと思われるブログで根拠になりそうな部分を探してきました。
間違っていたらご容赦下さい。また不適当でしたら削除をお願いします。

**************************************************************

李朝のよい茶碗はきれいです。時代色も含め。
ああいう作られたしみったれた汚れはきたないだけ。
故意に貫入を作り、すぐに汚れが滲みるような粗悪品をプロが作るのは嫌な感じしませんか?
職人は客人の意思に従わざるを得ないのも仕方ないけれど。
余計なこと書いたと反省しています。

本物の贋物屋がやる李朝もんはうまいす。きれいに育って区別つきません。ワシは思いつきで書くだけ。間違ったことも(笑)

2011/4/17(日) 午後 7:43 [ 清姫 ]

http://blogs.yahoo.co.jp/sarasoul1598/MYBLOG/guest.html

なんだかよくわからなくなってきましたが、

ある人にとっては汚れた粗悪品でも、私にとっては手間隙かけて原料から砕き、素焼きをせずに通常よりかなり神経をつかって製作している粉引で、それを気に入って使ってくれるお客様がいて、その事をとても嬉しく思っています。

自分でも愛着をもって使っています。別にそれでいいじゃないですか~(笑)

いくらご批評いただいても、嫌いなものをわざわざ作らないし、使いたくないし、
自作の粉引を使えって強制してるわけでもないですから~自分が美しいと思うものを使えばいいですよ。作り手も沢山いますからね。

「育つ」のやり取り興味深く読ませていただきました。

やきものには貫入はつきものなので、汚いという言い方は偏見としか思えません。また、二代三代という時間のスケールであろうが、一年、あるいはひと月のスケールであろうが、育つことに代りはないと思います。育った茶碗を汚いという感性は、やきものを飾り棚に飾ってよしとする感性のように思います。それではうつわは浮かばれません。

形式として完成した茶道や、名の高い伝世品を頑なに崇めるあまり茶の湯のもてなしの心が置き去りにされるは悲しい気がします。

うつわもお茶もそこに居合わせるひとが、日常のあり方を超えて高められた時間を味わう至福のためにあると私は勝手に思っています。うつわが育つことに至福を感じるのも同列の喜びではないでしょうか。それを汚いとか邪道というのは礼を欠いたもの言いであり、身勝手な気がします。

私は茶道も陶芸も駆出しであまり偉そうなことは言えませんが……

お久しぶりです。育つというのもいろいろで・・・昔使った自作のなかに、汚いって思った器もありました。
土の焼きしまりが悪く、臭いが残るもので、使っていくうちに、ボコボコになっていきます。
水分を含んだ時に、叩いてみるとボコボコという音がします。
そういった器はよほど気をつけないと「育つ」とはいいがたいような気がしますよ。そんな過去の経験から今は生地を焼しめるようにしています。
粉引に染みはいってますけど、それは表面だけで、中は磁器のように焼きしめるよう心がけてます。

追伸:おっしゃられているように「もてなしの心が置き去りにされるのは悲しい」ですね。もてなすための道具は、もてなす気持ちがあってこそ生かされてくるのでしょうね。

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