うつわやブログ

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August 3, 2006 11:10 PM

今日の掛け軸「好雪片々」

本日かなりの猛暑!それでもお茶の稽古に行ってきました。
掛け軸は涼しく「好雪片々」へんぺんこうせつ
これには「不落別處」という続きの句があります。詳しくお知りになりたい方は→こちらを

お菓子はガラスの器にのせられ、手に取るとひんやりとした冷たさがここち好く、この二つの演出で気分的に少し涼しくなったような気がします。

今日の話題は出光美術館で拝聴した「茶の湯のうつわ展」の講演内容でした。

先生は「今までの長年の謎が解けてすっきりした。700円払ったけど、安いわなぁ~」と。

先生の"長年の謎"とは、利休さんの時代の最も詫びた楽茶碗から
仁清、乾山のような華やかな茶道具になぜ移り変わったのかという事のようです。

分かりやすくいうと「伊達道具」がもてはやされ時代に
乾山は大成功を収める人気ブランドに成長したと。。。
まとめ過ぎですね^^;

その他にも、講演の内容は平安時代まで遡り、うつわの形が
時代により変化して行く過程もわかりやすく楽しく解説して頂きました。

あまりにも説明不足なので少し追記します。

京都に継承された独特の造形性が、手づくね(手びねり)の形成方ということ。
土器、楽家代々、本阿弥家、尾形乾山と伝えられています。

「乾山の手づくねによる造形は中世の土器による系譜に連なるものと想定することができるだろう。中世の土器の皿は、宮廷の儀式や宴会の折に、饗膳器として使われたうつわであり、一度使用すると汚れが染み込むので、再び用いないのが原則であった。」

京都の貴族の風習として土器は使い捨で「清浄」なものだったらしいですね。

「一度の使用で破棄されてしまうことが前提の土器という素材に、あえてこれほどの可憐な文様を施した乾山。京の町衆の王朝文化への憧れ、そしてプライドと遊び心とが垣間見えるかのようだ中世のやきものの伝統と乾山のなかの革新性とが出会い、このような魅力的なうつわが誕生した。。。」

「」は図録「茶陶の源流」より抜粋しました。

あと楽茶碗が 聚楽第 の土によって作られたものと云うのもこの講演で初めて知りました。
長次郎の楽茶碗は聚楽第の土から出来ていたのですね。
余談ですが、お茶の炉段は聚楽第の壁土を掘り起こして使ってるらしいです。
(炉段は火が写るととても美しく、最初は黄色ぽい色をしておりますが、火があたる箇所が段々と赤味をおびて変化してくるようです)

この聚楽第の土を使ったのには、何か意味があったのでしょうか

当時、人の心は不安も多く(妖怪や魔物が猛威をふるってたりとか?)
清浄な場所である聚楽第の土を使い、清めたのでしょうか・・・

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