研究会で沓茶碗を拝見させていただいた。
裏返すと、とても低い高台で周りを切り取ったような箆跡、見覚えがある・・・
「この高台は、アレ!ほら、あそこで見た!あの窯の陶片!」
「内田皿屋?」
「いや船井さんとこですよ!」
「伊万里?」
「そう!甕屋の谷ですよ~」
と言っても誰の記憶にもなかった。
続きを読む: 高台の記憶 焼山窯
研究会で沓茶碗を拝見させていただいた。
裏返すと、とても低い高台で周りを切り取ったような箆跡、見覚えがある・・・
「この高台は、アレ!ほら、あそこで見た!あの窯の陶片!」
「内田皿屋?」
「いや船井さんとこですよ!」
「伊万里?」
「そう!甕屋の谷ですよ~」
と言っても誰の記憶にもなかった。
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昨日は陶片見学に参加する。
細いペン書きに太い点を組み合わせたような面白い文様の絵唐津が多くみられた。
多久独特の松の絵にも違いがあり、なかには阿房谷窯のような草紋や、市ノ瀬高麗神にみられるような高台。
堅手や、高台内にも釉薬がかかった李朝風なものにも驚かされる。
続きを読む: 多久高麗の陶片見学
昨日、洗濯物を干してる時、何故か突然、同じメロディが何度も何度も頭の中で繰り返される・・・・
♪僕のカケラをしりませんか、行方不明になりました。指名手配のモンタージュ世界中に配れよ♪
なので、一応、この失われたカケラを募集してみます。
もし、お持ちのかたがいらっしゃいましたら、お知らせください。
続きを読む: カケラ求む
続きを読む: 研究会、波佐見と武雄
この陶片を入手した時、"野育ちなれど格高し"この言葉が浮かぶ。
三百年ぐらいは野で育った(捨てられていた)陶片。その陶片の縁を金蒔絵で彩り、格調高きものに仕上げている。
カケラにさえ深い愛情を注ぎ、高価な装飾を施した愛陶家に敬意を表したい。
続きを読む: 野育ちなれど格高し
「古陶の譜」のカタログをみて・・・いただいた陶片があったのを思い出しました。
唐津ならなんとなくわかるものの瀬戸は全く分からず・・・陶片を見ても、猿投だろうか?うのふ釉がきれい、もぐさ土、ぐらいの認識。
続きを読む: 瀬戸のカケラ
宗サロンでの展示会に、最も器を愛する女性がご来場くだるとの連絡をいただき、是非ともみていただきたいお気に入りの陶片をいくつか持参しました。
その中の一つ(市ノ瀬)を大変気に入っていただけたようで・・・未練をもこしつつも、遠方からわざわざきてくださったので、思い切って差し上げました。
もっている陶片には一つ一つ思い入れがあり、陶片をみてるとそれを前にして交わした会話や、感動というものがよみがえってきます。
そんな手放した時の寂しさもつかの間、数日後には新しい陶片がやってきました!
続きを読む: 巡りゆく陶片
先日いただいた陶片は、弟子入りしている頃から何度も何度も見せていただいており「いつかは全部やるからな」と言われながら、何か頼まれごとがある度に、一つずついただいておりました。(急ぎの注文や教室の代理、パソコントラブルなど)
その中でも次は・・・と狙いをつけていたのが左の陶片です。
中央の千鳥もかわいく、部分的に乳白の斑がでている。(山に太陽が描かれているように見えなくもないが、嘴がついている)
右、左の陶片の絵は李朝(鶏龍山)が思いだされる。
続きを読む: お気に入りの陶片
続きを読む: 有光家の陶片~李朝
続きを読む: 有光家の陶片~瀬戸美濃
続きを読む: 有光家の陶片~唐津
続きを読む: 梅花皮の陶片
先週「九州陶磁文化館」に古唐津展を見に行った時、この陶片と同手の沓茶碗が展示されており、数ヶ月前に近くの骨董店でみかけた堀の手の沓茶碗を思い出しました。
骨董店でみた茶碗は傷も少なく完器に近いものでしたが、沓形がさらに歪をまして、沓を上回るような大沓茶碗といったようなひしゃげ具合でした。(ひしゃげすぎて使えないような感じ)
記憶が定かでないので、もう一度見に行こうかと・・・
内田皿屋窯について、唐津焼の研究より抜粋内田皿屋窯は武雄古唐津中では最も優秀な絵唐津を焼いた窯である。織部唐津の向付類に優品が多い。志野・織部の紋様と全く同じような千鳥・鵞鳥・橋・御所車・松山などの紋様を描いている。作調に磁器の影響を受け、古染付に似た器形が多くみうけられるところから、1610年代から1640年代に焼かれた窯と思われる・・・
唐津で沓茶碗を作った窯は大川原・甕屋の谷・焼山・多久高麗谷・内田皿屋・牛石など・・・
鉄砂で刷毛目をした黒刷毛の沓茶碗や沓鉢、大鉢がある。甕屋の谷・焼山・多久高麗谷・内田皿屋など・・・
続きを読む: 唐津のカケラ 内田皿屋(小山路)窯
今日は窯を焼成中です・・・
陶磁器では、焼きがもっとも大切であって、それだからこそ「やきもの」というのでしょう
↑「やきもの随筆 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)」より
唐津古窯のほどよい焼き具合の陶片を。
奥高麗の釉調を思わせるような、この焼け具合はとても理想的です。
続きを読む: ほどよい焼き具合
ものをよく見ているつもりでも、人から教えられ初めて気づく事があります。
李朝陶磁の高台には糸切りの跡がないという事をお聞きしました。
思わず「え~うそでしょ~」というぐらい信じられません。
現在、白磁の盃などとして用いられる底に削りがされていないものにも、よくみうけられるヘラで切った跡です。
本当に糸切りでは無く、全てがヘラで切っているのか?と疑問をもち、手近にある朝鮮陶磁を調べましたが、はっきりと分かる糸切り跡はありませんでした。
もし、朝鮮陶磁(李朝期まで)のなかに、糸切りの跡の残る高台がありましたらお教えください。
本当に無いのか・・・
5月31日 追記
今日、ちょっと美術商宅に立ち寄りまして、朝鮮陶磁のなかに、糸切り高台があるのかお聞きしましたら...
「数は少ないが李朝分院にある!」と言われました。
「無い方がおかしい」とも。
どーも、コレはあるようですね。しがしながら、より確かなものにする為に、もしありましたら是非ともお知らせください。
続きを読む: ヘラ切りの高台
何時の日にか、片口が欲しいと夢見ながら
なかなか手頃なものには出会えません。
手軽に買えるものといったら、陶片。
どーしても欲しかったので、カケラにお金払ってしまいました・・・。
接いだら形にならないかと考えてみますが、
このくっ付いた二つの注ぎ口を離すのは野暮な気もし、過去の例から考えてみても、止めといたほうがよさそうですね。
理想とする片口はの姿は・・・
続きを読む: 現実と理想
いったい、この男達は何をしているのでしょうか?
中央の大男、なにやら肩からかついで、腰に何かをぶら下げています。
この腕の大きさから想像すると、かなりの力持ちのようです。
右の男は、腰に刀をさした武士のようです。
大男の怪力がすごいのか、仰け反るように見あげています。
左は?いったい何者?子供!?
続きを読む: 三人の男
お正月は、瞬く間に過ぎ、
昨日は、お世話になっております知人のお供で外出。
お出かけ先で、縁起の好い思わぬもらい物をしました。
福寿の文字が入った伊万里の鎬碗(上画像)をいただきました。
年明け早々、福寿がくるとは、あり難き幸せ。
続きを読む: 福寿きたり!
大草野窯の三島唐津に続き、違う窯の三島唐津を。
(このカケラは参考にと頂いたものです)
窯の名前は古那甲ノ辻(こなこうのつじ)といいます。今まで耳にした事の無い、はじめて聞く名でした。
この窯の名前がなかなか覚えられずに、「これはどこの窯でしたか?」と何度も何度もお聞きして、最近やっと名前がでてくるようになりました。覚え難い名前ですよね。
調べてみますと本に掲載されておりました。
絵唐津や黒唐津などが作られていた窯のようです。
まだまだ、知らない唐津の古窯は多くあります。
続きを読む: 古那甲ノ辻窯
陶器まつりの片付けを終えた後
近くの和尚さん宅に立ち寄り、いろいろと物色してましたら
帰り際に「あーコレあげるよ!」と、いただきました。
このカケラ(↑画像)の完全な形は以前、陶磁協会の研究会の時に拝見したことがあります。
沓形の可能性もありますが、多分この形は州浜でしょう!
州浜とは:州のある浜辺という意味で、3個の輪を少しずつ重ねてできた輪郭の形をいう。
胴部分の内側の押さえ、玉縁の口作りは
巧みなロクロを感じます。
海鼠釉はステキなどぎつさを放ってますよね。
続きを読む: 州浜のカケラ
磁器に近い土モノといえばこの窯も
この小十官者窯(こじろがま)は非常に李朝堅手と似ており、
画像左上の砂目跡ものなどは区別が付け難いですよね。
高台のほんのり赤みをおびた細かい土をみると、
なんとなくからつかなぁーと思えますが、
この砂化の無い土が岸岳系の窯とはホント驚きです。
昭和60年に唐津市枝去木字後田のにある後田遺跡で松浦左志氏一族の屋敷が発掘された。中国、朝鮮の古陶にまじって付近の小十官者窯の皿、茶碗が出土した。屋敷の年号は十五世紀中期から十六世紀中期と推定される。これによると小十官者窯は、1560年頃には稼動していたことになる。小十官者窯よりさらに古いといわれる岸岳古唐津は1560年以前に開窯したといえる。
唐津焼の研究により抜粋
続きを読む: 古唐津:小十官者窯
先日の茶碗「名月」(←こう呼ぶとかっこよく感じます)と似た
磁器に近いの白土を使った窯の陶片をだしてみました。
この陶片は道薗窯のもの
土色はよく似ていますが、ここ窯の高台は削り方に特徴があり
高台の内側は丸く、削り後の角が立っていません。
続きを読む: 古唐津:道園窯
李朝の三島手を・・・といっても陶片です。
自分で三島を作るようになってから、模様がどのように入っているかを良く見るようになりました。
それまでは漠然とした大雑把な見方でしたが、細かく見ると面白い発見もあります。
茶碗の陶片(↑画像)は文様を入れ、化粧土を塗り、その後拭き取ったのか?削った後に刷毛を入れたのか?
刷毛の跡が残っています。
胴の部分のギザギザ線は貝を使って入れた線のようです。
陶片ながら力強さを感じます。
続きを読む: 三島の陶片
陶片の使い方を考えてみました。
陶片は土の中にあった為か、食卓にならべるには
汚れたイメージがあり、なんだかちょっと抵抗がありますね。
土の中に埋まっているといえば根菜(じゃがいも、にんじん、だいこん)など。レンコンなどは ドブの中(ちょっと違うか?)
しかし、これらの野菜が食卓に並べられるには
泥を落としキレイに洗い、料理された後です。
そこで 陶片も料理してみる事に♪
まず、キレイに洗った後、周囲を整え、漆を塗ります。
今回は時間がなかった為、人工漆(カシュー)を使用。
↑簡単な料理ですがw
もっと手間隙をかければ、きっとまだいいものができそうです。
続きを読む: 陶片を料理する
先日、陶片の使い道は箸置き以外には何かないだろうかと問われ
単純に花を入れる事しか思い浮かびませんでした。
他に何か使い道はないでしょうか?
粋な使い方ありましたらお知恵を拝借したく存じます。
ストラップ、箸置以外で何かございましたら
コメント、トラバ 宜しくお願い致します。
続きを読む: 下野と陶片
続きを読む: 陶片:市ノ瀬高麗神窯
昨日はかさねさん、マダムさんと連れ立って大宰府のおもしろ市に行ってきました。
その日天候は、五月といえども汗ばむような暑さ。
この大きな木の下は、少しだけひんやりとして気持ちよいものでした。
何を買ったかというと・・・
続きを読む: 陶片探しの旅(2)
この皿の形は李朝そのまんま!しかも釉薬は斑、この形で斑ですよ!
と最初に見たときには思わず興奮してしてしまいた。
この陶片の持ち主(店主)、曰く「これは椎の峰窯ですよ。私の父が40年前に掘ったのだから間違いありません。」と。
これが椎の峰窯!?ここの窯といえば、薄作りで端正な形、きっちりと削られた高台の印象があり、持っている図録に載せられているものとも随分違うようで、底部分には厚みがあり、手にとるとズッシリと重く、この陶片が椎の峰窯だとは信じられませんでした。
私のあまりもの驚き様に、店主は「そんなに気に入ったんなら差し上げます」と。
きっと他のモノを買っていたからもあったのでしょう
この陶片は無料で頂きました^^。
椎の峰窯について「唐津焼の研究」より抜粋しますと
元和元年(1615)頃、唐津藩の陶業復興策によるのか、唐津領内の陶工が椎の峰に集まった。
・・・・・寛文元年(1661)頃、椎の峰山に一基十二室の登り窯が三基あったことが記されている。現在も大きな窯跡が三ヶ所残っており、この辺一帯が一大陶業地であったことをしのばせる。・・・・・なお椎の峰山窯には、付近の諸窯が集まった関係で唐津のすべての陶技が使われた。三島・二彩唐津・辰砂・があり、辰砂の赤、紫、緑と変化した美しい窯変も焼かれ、絵唐津・摺絵刷毛目・朝鮮唐津・黒唐津なども用いられている。
続きを読む: 陶片:古唐津 椎の峰窯
久しぶりに陶片を・・・
唐津焼の研究
←こちらの本によりますと
「李祥古場窯と祥古谷窯の中間に焼き損じを捨てた物原があり、両窯の作品がいりまじってどちらの窯で焼いたものか区別がつかない。この物原から絵唐津大皿の陶片が出土している。 李祥古場窯・祥古谷窯・古那甲の辻窯・本源寺窯では蛇蝎(じゃかつ)釉の沓(くつ)茶碗や沓鉢を作っている。蛇蝎とは下地に鉄釉をかけ、その上から失透性の長石釉をかけたもので、失透性の白い斑文の下から、鉄釉の黒色がすけてみえる。中国明時代漳州窯の呉須餅花手の陶技が唐津に伝わり素麺手となった。それが変化して蛇蝎唐津となり、薩摩に伝えられて蛇蝎釉となった。」
唐津焼の研究 P62より抜粋
この李祥古場窯・祥古谷窯には口作りが玉縁になったものや
蛇蝎や黒唐津などのよい沓茶碗があり
そのような良い茶碗は金額的に絶対買えそうにありませんので
陶片で我慢しときます^^。
続きを読む: 陶片:古唐津 李祥古場窯
出光美術館の磁州窯(鉄絵)をみて、筆の線などこの鶏龍山窯によく似ていることに気付きました。
当時李朝は中国陶磁に憧れ模写したといわれてますから、あたりまえといえばあたりまえの事なのですが、朝鮮陶磁ばかり見ていると独自に発展した(中国のまねをしたけどできなかった?)特徴の方が強く、全く別モノのように感じられます。
極端にいえば中国は鑑賞陶器、李朝は生活雑器というイメージが強く
李朝は見ためは不完全ですけど、陶片断面(画像)を見ても、しっかりと焼かれており親しみやすく安心感を与えてくれます。
絶対にありえない事ですけど、
「白地線彫牡丹文梅瓶」が家にあったら毎日が緊張して落ち着かない気がします。
しかし磁州窯の陶枕はちょっと試してみたいかなぁ・・・w。
↑これも間違いなくありえないです。
(出光学芸員 金沢氏の解説によりますと陶枕は実際に枕として使われていたらしいです。)
続きを読む: 陶片:李朝 鶏龍山窯
小さな陶片ですが、古唐津の岸岳系 帆柱窯と皿屋窯。
この二つの窯を区別するのは難しく
一般的に皿屋窯の見込みの釉剥ぎ、目跡(メアト)は四角と言われてます。
しかし、発掘をしていた方に聞きましたら、帆柱窯にも数は少ないものの四角い目跡があるとの事。
多少の疑問をもち他の方にも確認しましたら、その方も帆柱にも四角い目痕がまれにあると言われてました。
四角い目痕は画像3・4枚目を参照下さい。
この陶片は、いただいたもの。
もらった時から帆柱か皿屋、二つの窯どちらかでしょう!でしたので
最初から、この二つの窯は区別はつきませんでした。
なぜ目跡が四角なのか不思議ですね。
そう思って調べましたら、66さんのブログに書かれていました。
66さんのブログ→http://blogs.yahoo.co.jp/ryouma66jp/39721868.html
(くらいけさんのコメント勉強になりました。)
続きを読む: 陶片:古唐津 帆柱窯と皿屋窯
興味のない方からすれば、こんな割れた欠片?
どこがいいのだろう?おかしな人って思われるといけませんので
ちょっと解説を。
割れていない完品を買えればいいのですけど、桃山~江戸時代のモノって高額でなかなか手のだせる金額ではありません。それと贋作も多いし。
しかし、日本の陶磁器のなかで最高によいもが作られたのがこの時代で
先人の多くは、やきものを学ぶならこの桃山~江戸初の時代を学べ!といっています。
美術館に行けばガラス越しに見られるのものの、かなりの距離を感じます。
そこで、身近になるのは陶片ってなる訳で、
たとえ陶片(カケラ)といえども、陶工たちが残した仕事をそこから学ぶことが出来るから、こうやって出しては遊んで・・・いや学習しているんです。
続きを読む: 陶片に学ぶ
先日、山瀬窯の小皿を紹介しましたので、同窯の陶片を。
画像をクリックすると拡大して御覧頂けます。
陶片を見比べるのは、とても面白いものです。
同じ窯の斑でも発色は様々ですし
高台をみても、違いは面白いものがあります。
縮緬 のでかたは削る時の乾燥具合や、土を採取する層が変わると違ったりもしますが
画像中央下のような細かく目の詰った高台もありました。
焼け具合も様々で、焼きのあまいモノとよく焼けているモノを比較してみました。
画像の右側の断面はグレーになり、よく焼きしまっていることがわかります。
釉薬の溶け方、高台の色を見てもわかりますね^^;
山瀬の古陶と現代
右が現代の山瀬窯 田中 佐次郎さん作。左が古唐津 山瀬窯のものです。
現在でも、山瀬の土を使っている方は何人かいらっしゃいますが
ロクロは挽きにくく、とても使いづらいものと聞きます。
それでも使っているのは、山瀬の土に何らかの魅力があるのでしょうね。
私も使ってみたいですね、山瀬の土。。。
忙しい日々が終わり、久々にお茶の稽古に行ってきました。
今日の掛け軸は「清風払明月」 せいふうめいげつを払う
よくわかる茶席の禅語 著者:有馬頼底、発行所:主婦の友社より抜粋しますと...ただ明月が一つぽつんとあるだけでしたら、それはただの明月です。そこへ清風がさっと吹くことによって、その明月の美しさ、清らかさがいっそう強調されるのです。それがこの句の最も大切なところです。 のちに、鳥啼山更幽(とりないてやまさらにゆうなり)という句がでてきますが、深山の静けさが、鳥が一声鳴くことによって、いっそう強められるように、月の美しさが清風によってなおいっそう強められるのです。すべてを払って、もう何も払うものがない。一切を払い尽くして、本当の正味だけが残される。そういうすがすがしい境地であります。
そういえば何日か前の月はとても綺麗でした。
しかし、このようなすがすがしい境地には程遠い私は、その日お稽古に使われている碗なりの茶碗が気になってしかたなく、先生にお聞きしたところ「この茶碗は古唐津やで~岸岳系や!」とおっしゃられていました。確かにそう岸岳系にみえます。しかし見込みに飛び込んだような藁の釉薬が少しあり、その発色が内ヶ磯にも見えて、ますます気になってしまいました。
ここ最近、下記の三つの窯から頭から離れなくて困っています。
古唐津 道納屋谷窯(岸岳系)
古上野 釜の口窯
古高取 内ヶ磯窯
発端は高取陶器まつりに来られましたお客様から、古上野 釜の口窯のいい茶碗を 宮原隆窯さん に差し上げたとの話をお聞きした事に始まります。
早速その日の帰りに宮原さん宅にお伺いし茶碗(上画像)を拝見させて頂きますと
えっ!これも古上野?古唐津ではと思える鉄分の少ない軟らかな土味でした。
間違い無く釜の口窯の発掘です。
↑画像は照明の関係で後の画像と色が違ってしまいました。
3枚目の皿はフラッシュ撮影です。
そして陶器まつりが終了後、美術商宅に器の配達に行った時、拝見させて頂きました水指が
またこの釜ノ口窯のものではないかと思えるものでした。
「どこの窯と思いますか?」と聞かれ浮かんだのはこの古唐津(道納屋谷窯)と古上野(釜の口窯)の二つの窯でした。
今日のお茶の稽古で使われていた茶碗は、陶片(下記画像)を見直したところ
先生の言われたように古唐津(道納屋谷窯)のようですね。
そして周りを見渡せば、陶片と本があちらこちらに。。。
明日は掃除ですね^^;
今日は台風の為、突然できた空き時間。
仕事をする気にもなれず(外は突風!吹き荒れております)
陶片の紹介します。
この古唐津の皿は福岡の骨董屋さんで購入したものです。
陶片も縁が残っていれば形はできるのですね。
なんだかよくわからないような絵ですけど、不思議と春蘭にみえます。
阿房の絵も、とても好きなものの一つです。
この修理で失われた絵の部分が上手く書き足されているのも面白いかな。
古唐津の陶片は、いただいたものや購入したものなどありますが
まだ未整理ですので、まず手近にありました絵唐津から
続きを読む: 陶片:その3・絵唐津
釜ノ口窯 慶長7年(1602)~寛永9年(1632)細川忠興により開窯
この陶片は古上野の釜の口窯のものです。
以前「粉引櫛目撥高台平皿」で紹介しました平皿の高台部分と勝手に思い込んでいます。
口の部分もメアトもありませんので何ともいえませんが、
あの好きな平皿の陶片だったらいいな~と空想をいだいております。
釜の口の小さな陶片ですけど、ついでに載せてみました。
雑器も多くあります。
一番下の斑の陶片は小さく、カセていて状態も悪いのですが、窯跡で観ると光輝いた宝石のように感じて嬉しくて持ち帰りました。
今観ると、なんでこんな状態が悪いものをを持ち帰ったのか?とも思いますが、これでも土の違いを見るための参考資料ぐらいにはなりそうですね。
続きを読む: 陶片:その2・古上野 釜ノ口窯
暑い日が続いています。少しバテ気味ですがお茶の稽古に行ってきました。
今日の掛け軸は「和清」珍しく家元のもので、すでに何代目かはすっかり忘れてます。
一番気になりましたのは、玄関に置いてありました初期伊万里のぐい呑の陶片
口の左右に二ヶ所大きなカケがあり、絵が所々に残っていました。
完全なものはもちろんよいのですが、陶片から失った部分を想像するのは楽しいものです。
帰りに玄関で初期伊万里のぐい呑の陶片を見て先生は
「いつか死んだときは、このぐい呑の陶片は、やるわな。」と言われてました。
先生は80歳 まだまだ お元気です。
こちらは以前先生に頂いた陶片です。(運転手をしてお礼にいただいたもの)
続きを読む: 昨日の掛け軸!「和清」
唐津と思えますが高取なのです。
上3枚の写真は古高取内ヶ磯窯の発掘調査説明会の時に撮影したものです。
写真の日付は97.10.19。
古陶磁に深い関心をもったのは、まだ独立してすぐの頃、立ち寄ったTさん宅で古高取の内ヶ磯窯の陶片を見せていただいたのが始まりでした。
それまでは、美術館でガラス越しに眺めたり、有光先生のお宅に出入りする美術商の方の品物を拝見したり、お茶のお稽古の時にM先生が出してくれるものなど、興味はあってもまだまだ遠い存在でした。
以前読んだ西岡小十さんと村山武さんの対談記事では、
「埋蔵文化財法はちょっとずれた法律で...発掘調査をしても掘り出したものを死蔵している...
私たちが掘れば、何か復元の対象になるんです...
古陶片の保管と公開は私が死ぬ前に何とかしておきたいと考えていきます。後世の若い人たちが資料という点でこまります..やきものに対する意欲、努力しょうという気持にならないです。自分がつくったものがいいという自己満足だけで、新しいいいものをつくろうという気がなくなるわけですから。そうすると、どうしても後世のやきものは衰退しますね。」
後世のやきものを衰退させたくはないですね~
続きを読む: 陶片:その1・古高取内ヶ磯窯