August 24, 2009 12:08 AM
クラシック音楽と写し
先日、地元出身の演奏家によるコンサートを聞きに行き、思いだしたように、CDをあれこれとだして・・・
同じ曲が演奏者によって異なるのは面白く、それぞれの技量や解釈の違いにより、別の曲に感じる時があります。
また、同じ演奏者、同じ曲であっても、演奏する時期によっての違いを聞き比べるのも、一つの楽しみでもあります。
若き日(18歳から22歳)のグレン・グールドの演奏が聴きたくて↑注文しました。
古陶の写しをしていると、時折り遠くから、400年前と同じものを作って今さらなんになる、という声が聞こえてきます。しかし、古陶を写すことは、バッハやモーツアルトを演奏することと似ているように思えました。
同じ皮鯨のぐい呑みでさえ、作り手の個性がうかがえるような気がします。
自分が得るもの、人に与えられるもの、喜びも、感動も、たまに苦心の跡さえも。
器の中にも音楽と同じくいろんなものが詰まっているような・・・
過去の陶工が残した唐津に思いを寄せて。
9月19日より、千葉県流山市のカンパニュールさんにてグループ展の予定です。
詳細はこちら→「古唐津シンドローム 展」
DMが出来次第、あらためてお知らせいたします。
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Comments (6)
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うつわやさん良くぞ言ってくれました。
「古陶を写すことは、バッハやモーツアルトを演奏することと似ているように思えます。」
こころが晴れました。そうですよね、私はおおきく首肯いております。
ほんとに、上の方と同じく、うなづくことしきりです。
今ちょうど、教育テレビ、「知る楽」でグールドの再放送をしてますね。
私はなぜか、バッハを弾くグールドをBGMにして轆轤を挽くと、すごく集中できます。
出来上がったものに関してはグールドの演奏の様にはなってないんですけどね^^
同じ曲を違う指揮者・オーケストラで比較するのもおもしろくて、図書館でクラシックのCDを借りてきては楽しんでます。
すこし前の、キリンクラシックラガー(高倉健さん)のキャッチコピーに、
「確かなものだけが、クラシックになってゆく」
というのを思い出しました。
古陶に限らず、長い年月を経てなお残るものには、それに耐えうるだけの奥深さが備わっているということを強く感じます。
真似る→真似ぶ→学ぶ
古きをたずね新しきを知る。
遊びに学べ、学びに遊べ…恩師の言葉です。
堅手屋さん、それほどでも・・・と書きながら、実は無い知恵をしぼりだしてます。
お役に立ててよかったです。
山蔵屋さん、そんな放送があってるんですね・・・部屋のテレビが映らなくなってもう3年ぐらいになります。修業時代もテレビがなく、キムタクを知らなかった事で笑われたりもしました(笑)
「確かなものだけが、クラシックになってゆく」
関係ないかもしれませんが、クラシックのCDって廃盤になるのが早いような気がします・・・。
四月亭さん、「学ぶ」は「真似る」からきてるのですね~この年ではじめて知りました!
「遊びに学べ、学びに遊べ」よいお言葉、私も心にとめておきます。
いいことばに出会うと元気が出ます。ありがとうございます。
ひそかに井戸写しに挑戦しています(ただ、約束、特に梅花皮、をちゃんと守れないので写しとは言いがたいかも知れませんが・・・)。とにかく、いいものはいいですよね。この間たまたまTVを見ていたら(美の壺)ヴァイオリンの特集でした。あの美しい形は300年間変らずに受け継がれてきているそうです。機能とフォルムの快がそうさせたのでしょうね。うつわも同じだと思います。
いつも勉強をさせてもらっています。
こちらこそ、コメントいただきありがとうございます。
写すことは「真似る」→「学ぶ」ですね~。
梅花皮がでなくても、そこから得られるものがきっとあると思います。
うつわもヴァイオリンと同じだといいのですが・・・食事の形態は変わってきているような気がします。茶事をするお茶人さんも少なくなりつつあるような・・・。