November 16, 2009 1:20 AM
釜ノ口のまだら
まだらといっても侘しさが漂う枯れ果てた小皿です。
上野焼きのはじまりは、豊前小倉藩主 細川忠興により、朝鮮陶工尊楷を招き、16002年(慶長7年)開窯。
(地元ではまだらと呼ばずに藁白という場合のほうが多いようです。)
一見、唐津と似ていますが、高台は高く、撥高台になったものが多くみられるようです。
しかし、凛としたロクロは好ましい。
たとえボロをまとっても、武士の心を失わない者のように(笑)
Trackback (0)
Trackback URL: http://www.utuwa-ya.jp/mt/mt-tb.cgi/2904
Comments (4)
Post a Comment
私の個人的な印象として、初期の上野や高取は唐津と比較すると、
その造形が丁寧に作られているように感じます。
高台は、若干高めで真円に近く、施釉も釉薬が流れることなく、
几帳面になされている例が多い気が致します。
肥前よりも生真面目な陶工が多かったのでしょうか(笑)
都合により、暫くの間コメントをすることが出来ません。
うつわやさんの今後のご活躍を陰ながら願っております(^^
西家庵さん、確かに丁寧さを感じます。
御用窯としての所以も考えられますね。藩主や陶工頭の指導が厳く、「ダメダメ、こんなんじゃダメだよ~もっと丁寧に作らなきゃ」のような、ダメだしされたりとかも(笑)
私も西家庵さんのよき蒐集をお祈りいたします。
復活(帰国?)のさいには是非コメントお寄せください~。
"たとえボロをまとっても、武士の心を失わない者のように" がいい!!(^^)♪
まいこのお茶さん、ありがとうございます。
斑は風化し朽ちてますが、好きなんですよね。
ちょうど今頃の、秋から冬へ変わろうとする景色のようでもあり。