November 5, 2013 7:39 PM
富貴長命の昔と今
金襴手の茶碗の高台"富貴長命"を見たときハッとした。やきものとはこういうものだったのか・・・と。それからモノづくりに対しての考えが少しずつ変わってきたように思う。
その後・・・博物館で古墳時代の"斜縁神獣鏡"を見た。
2つの解説には・・・鏡の銘文は「吾作明鏡 自有真青龍 在左白虎 在右東王父西王母 長宣子孫大吉」である。 大意は「私が作ったこの明るい鏡には青龍がいる。左には白虎が、右には東王父・西王母がいる。あなたは子孫が繁栄し、運勢がとてもよいだろう」
鏡の銘文は「吾作明鏡 幽涷三商 曾年増寿 曾年番昌」である。 大意は「私は、3種の金属を陰陽にしたがって密かに精錬して、この鏡を作った。 あなたは長生きし、めだたいことが多く、子孫が繁栄するだろう」である。
この解説を読んで、"富貴長命"の根源というか、ここがものづくりの原点ではないのかとも思えてた。
ものに人々への幸せへの祈りがこめられてるような・・・
中国(明)で作られた"富貴長命"は伊万里で"富貴長春"にかわり、それから加賀の大聖寺にも受け継がれてゆく。
鳳凰が青い鳥に変化したような気もしますが、まだ同じ線上にはあると思う。
時が経つにつれ、だんだんと形が変り、意味合いも微妙に変わってゆくような気がする。
オークションアラートでヤフオクをチェックしてると、同じ線上に鶴も浮かんでくる・・・
近年になって"富貴長命""富貴長春"は鳳凰から鶴へ、玄武から亀に形を変え長寿という形で残ったのではないだろうか・・・と。勝手な想像をしてみる。
今では鶴と亀も失われてゆきそうですが、次の白磁はこの流れを取り入れて・・・
"富貴長命"でありますように。
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Comments (4)
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初めまして、いろいろ調べていて家の家にも富貴長命なる茶碗がありましていつ頃のかまったく分かりません。薄汚れた箱の入っていて包まれている新聞は明治20年位のです。
明治の新聞なら、多分、そのころ加賀で焼かれた大聖寺伊万里ではないでしょうか・・・
伊万里に詳しい越前屋平太のブログに詳しく書かれていますので、参照するとわかりやすいと思われます。
http://blogs.yahoo.co.jp/ko0214/50756241.html
江戸期の伊万里とは青や赤の色に違いがあり、生地の違いなども、見分けるときのポイントになるようです。調べていく過程もきっと楽しいですよ!
ありがとうございます。早速しらべてみます。
もし分からないことなどありましたら、お気軽にどうぞ!