July 18, 2009 11:20 PM
ほっこり花入
この花入も ほっこりさん から、いただきました。
越前 たいら窯 栞より平安期の壷や甕づくりの古法が、平等の 小さな台地上に先祖代々住むひとりの陶工によって、いまなおうけつがれているということである。 こういうことを奇蹟とよんでいいのではあるまいか。 平等の藤田重良右衛門さんのことである。 私は、重良右衛門さんのことを、越前陶芸村の福井県陶芸舘できいた。 (ありうることだろうか) しばらく信じがたかった。 この古越前の生き残りの人は、上代の常滑がそうであったように、轆轤(ろくろ)をつかわないのである。三和土(たたき)の上に、動かぬ木の台を据え、その上に土を置く。 やがて大型のにしき蛇ほどにまるくながくした粘土を、自分に捲きつけるようにして、 自分がいわば轆轤になり、成形(つくる)べき器物のまわりをしなしなとまわって、壷なら壷に成形してしまうのである。 「舞踊のようにうつくしい動作です」 と、草月陶房の勅使河原宏氏もいわれた。館長の渡部智氏も、とてもその動作は口では表現できない、 といわれる。・・・・・連載紀行「街道をゆく」より
栞に書かれている、ロクロを使わず、作者が作品の周りを舞う美しい動作、というか、このような作り方があったとも知らず・・・越前さえわからず(備前かと思ってしまった)そんな私がいただいていいのだろうか・・・。
略歴も・・・。
早速、花を入れてみる・・・。
花の咲いたそのままの状態を思い浮かべても、思い描いたようにはなかなか上手くいかず、続けていればいつか上手く生けれるようになるのではないかなどと、軽く考えるようにしました。
こんなにいただいて恐縮しながらも、いただきものは まだ つづく・・・。
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Comments (2)
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>越前さえわからず(備前かと思ってしまった)~
焼締陶器って本当に難しいですよね。しかし、これが分かる方々は、同じ様な
土味、意匠、色調等から僅かな違いを手掛りに判別される訳ですから、うつわや
さんが古唐津の各窯間の差異を論ずるのと同じ様なものではないでしょうか^^
この手の砧形の花入れは信楽や備前辺りでは見受けられますが、九州の陶磁器
にはあまり見られない造形ですね。高取では砧形の花入れを時々見かけますが
首が長いことが多くて印象が違う気がいたします。
焼締陶器も数多くみていけば、それなりに分かるのでしょうが、なかなか見れる機会がありませんね。
砧花入を検索してみましたら、西家庵さんが書かれていますように、首が長くなり、それだけで随分と違う印象です。素人の考えですが、こちらの花入の方が生けやすいような気がしました。