うつわやブログ

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August 3, 2009 7:50 PM

最近借りた本

ちょっと前に「利休にたずねよ」を借りて読んでみました。簡単な感想を・・・

「三毒の焔」のところが面白く、宗陳は貪欲ドンヨク(むさぼり)瞋恚シンニ(いかり)愚痴(おろかさ)、この三つを周囲の人間に当てはめ考え、美に対して凄まじく執着する利休が持っている毒の焔の思い、身震いまでするが、やがて、そんな事を考える(人を見下げていた)"おろかさ"の毒は自分にもあると気付くあたりが印象に残る。

それと、この本の中に、美しい「高麗の女」が登場する。
利休さんが若かりし頃に出会い、罪の意識に思いをよせたのか、香合に執着したのか?女が持っていた緑釉の香合を懐に偲ばせ晩年まで心とらわれていた。(なにより、香合の中身に驚く)
この女性、今まで思っていた利休さんのお好みのタイプとは違った印象を受けた。
(お茶の稽古時に「お好みは?」「お形は?」と問われ、「利休好みです!」といわれる道具とは違った感じ、楽茶椀より高麗青磁の梅瓶が浮かんだ)

20090803kourainoonna.jpg

家にあるなかで最も近い
高麗ノ女っぽい感じ・・・(借物)

あと、本の内容とはあまり関係ないのですが、読んでいて思ったのは、
当時の楽茶碗や奥高麗は窯からでたばかりのまっさらな新品、井戸などもあまり時代が付かず、新品に近い状態。
考えれば当たりまえの事ですが、染みの入ってない茶椀を想像すると、その頃の茶碗がおおらかで清々しい感じに思え・・・

侘茶とは何か疑問が浮かび "wikipedia" をみると、なんとなく分かったような気分になる。そして「現在のわび茶」が大きく変わってきていることに気付く。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%B3%E8%8C%B6

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Comments (2)

私も昔作られたやきものを見ると思います。
当然当時は新品が殆どでしょう(当時のものでも使い込まれたのもあったでしょうが、)

前に仏像とその建物(空間)は出来た当時はどんなだったかというのをNHKでやっていましたが、あまりにハデバデしいのでため息をついてしまった経験があります。(最近新書だったか文庫かでこんな題材の本も見ました)

色が、素材が朽ちなければあの凄さは出ないのでしょうか、我々が今有り難がっているのは何でしょう?
時間の経過が必要不可欠ならば・・・と思うと複雑な気になります。
まあ、元が良いから残るのでしょうね。
新品の清々しさと、この育っていくだろうと期待させ何かを確信させてくれるもの、また自然とそのように変化してくれるもの、そんなのが良いものなのでしょうか。

新品の時も良くて、使い込んでもそれもまた良いそんなの良いですね。変化が楽しめるのは良いですね。
(時代がつかねばだめとなるとつらいですよね)

堅手屋さん、わたしもよく同じような事を考えます。
そして最後には、よいものは大切に使われ、よい時代がついていくのではないかというところに収まっています。

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