うつわやブログ

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August 26, 2010 11:44 PM

奥高麗の筒

コメントをいただき、奥高麗の定義といっても、よくわからないので、調べてみました。

やきもの事典 より抜粋

奥高麗とは、唐津焼きの茶碗のうち、高麗茶碗の特徴を採入れた初期の茶碗をいう。奥高麗とは古いという意である。

先程、ロクロを挽いてて、粉引茶碗(三好)と、奥高麗(碗ナリ)って、同じ形だぁ・・・って思ってたら、やはりそのようですね。

下の写真が出光でみた筒茶碗です。

20100826okugouraitutu01.jpg

「古唐津」出光美術館図録より

ついでに、ほかの筒茶碗も・・・

20100826okugouraitutu02.jpg

「古唐津の流れ」読売新聞社図録より

20100826okugouraitutu03.jpg

「唐津」日本の陶磁5中央公論社より

過去にUPした同じものの写真→http://www.utuwa-ya.jp/blog/assets_c/2008/11/yatusiro05.html

いいものはいいですね~。うっとりして、溜息がでます・・・

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Comments (4)

>「いいものはいいですね~。うっとりして、溜息がでます・・・」
 本当にそうですね! 全く同感です。
 宗易さんも筒茶碗は真冬の寒い日に使ったのですか?

 奥高麗の定義 無理やりにも思えますが、どうでも良い感じもします。いいものはいいということで。
 有名な碗形の奥高麗はみんな良い感じですよね、「三好粉引」も大大大好きですが。
 

今は、寒い時に筒茶碗なんでしょうが・・・昔は、どうだったんでしょ?
茶筅は竹の先を簡単に割っただけだったと聞いた覚えがあります。このサイズで茶碗ですからね。

奥高麗の定義も人それぞれあって、あーだ、こーだ、っていうのもちょっと楽しいですよ。
蒐集家は自分の持ち物を、奥高麗にしたがります(笑)

岸岳庵さんのこちらの片口→http://blogs.yahoo.co.jp/mstmrtrsp/32985282.html
「奥高麗手」っていえそうです(あの高台、李朝にもあり、どこかで見たような・・・)

すみません…。私が奥高麗の定義だなんて堅いことを言ったために…。ただ、やはり奥高麗が好きで、自分なりのこだわりがあったりなんかしちゃいます。でもいろんな方の奥高麗のイメージを聞くのが好きで、というか唐津の話自体が大好きなんです。大体、奥高麗という言葉自体、江戸中期ごろかららしいですし、ホントに高麗茶碗と考えられていた時代もあるらしいですから、定義なんて無いですよね。しかし、ホントに手に入れようと思ったら、定義というか、「この条件を満たしているなら
買う!!」みたいな腹座りがいるだろうと思うんです。というのが、一時期、「奥高麗ありますか?」とあちこちのお店を訪ね回ったことがあったのですが、「ありますよ」と出てくるんですが、ほとんどが明らかにかけ離れていました。プロの業者さんの「なんとか奥高麗にして売りたい!」という無理やりがひしひしと伝わってきました(笑)しかし出光美術館はひどいですね!門司の出光が10周年?(20周年?)で、この間九州にたまたまいた時に、唐津の名品展をしていると聞き、行ったのですが、奥高麗がずらずらずらー*+#$¥¥¥と並んでいました。「ひ・ひ・ひとりじめ~」と心の中で叫んでいました。いや~立派なもんでした。しかし、出光も古い図録だと、現在、奥高麗と明記されているものも、その多くが古唐津となっていて、奥高麗の明記のものは少なかったようです。時代によって変わるんですね~ 長々とスミマセン。

yamaさん、ちょうどよいタイミングというか、細かい部分がどうなっているのか確認したかったので、いろいろ本をだしてみてました(笑)

奥高麗まであと一歩といったものはたまにみかけますね。
この茶碗が大きかったら、とか、一部分の釉薬の質感が近かったり、形だけは立派な奥高麗など。

出光で、奥高麗が一列にずらりと並んでいた光景は、ほんと凄かったですね。
作陶家数人と待ち合わせていたのですが、興奮のあまり皆さん我を忘れて、何度も注意されていましたよ(笑)

こういった話はいつでも大歓迎です。

筒の写真を見ながら・・・釉薬の感じ、井戸と同じだぁ・・・と思います。

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